秋葉山本宮秋葉神社、清瀧寺、光明寺、船明ダム、大光寺、瑞雲院、新宮池、佐久間ダム、秋野不矩美術館、秋葉ダム湖畔千本桜、小堀谷鍾乳洞、明神峡、山住神社、岩嶽温泉やしおの湯、大洞峡、米沢池、切通し峡、白倉峡、布滝、水窪ダム湖
浜松市天竜区
天竜区は、浜松市の面積の約6割を占め、区の中央部を北から南へ天竜川が縦断し、佐久間ダムや水窪ダムなどは、市の水源として重要な役割を果たしています。
北部は長野県と接し、赤石山脈南端の一朶の峰と豊富な森林資源に恵まれた中山間地域です。
北遠五名山と言われる山住山、竜頭山、白倉山、秋葉山、光明山は、トレッキングで自然を楽しむ人達に人気があります。
また阿多古川、気田川、水窪川、大千瀬川など天竜川の支流沿いに植林されている杉や桧林と渓谷が織りなす四季の風景は、日本三大美林の天竜美林と称されています。
良質なお茶の産地としても知られ、自然薯や椎茸など地域の特徴を活かした農作物の生産も盛んです。
主要地方道の国道152号や国道362号、国道473号は、重要な幹線道路として利用されています。
鉄道は、天竜浜名湖線が南部を通り、JR飯田線が北部を通っています。
天竜区役所周辺では、市街地開発が進んでいますが、それ以外の地区ではあまり宅地化は進んでいません。
この地域が歴史に登場するのは戦国時代からです。
天竜川と二俣川との合流点にあたる二俣地区が、戦略上の要衝であったため、有力な武将たちによる争いが絶えませんでした。
自然の堀に囲まれ堅牢な二俣城を武力で攻めあぐねた武田信玄が、徳川家役の家臣で当時の城主であった中根正照を水断ちの作戦で落城させた二俣城の戦いは、歴史に残る知略戦で、徳川氏がこの戦に敗れたことにより武田軍は遠州平野に進軍したと伝えられています。
信玄の死後に二俣城は再び家康の支配下となりましたが、慶長5年(1600年)に城主の堀尾氏が出雲に転封したことによって廃城となりました。
江戸時代には長野方面への連絡路としてこの街道は使われ、大きな争いもなく静かな山里として杉や桧など林業や農業が営まれていました。
明治維新後は、近隣の町村が合併を繰り返し、旧天竜市、旧春野町、旧佐久間町、旧龍山村、旧水窪町の旧北遠5市町村で構成される天竜区が誕生し、今に至っています。
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