かつては庄内川に沿っていくつかの村があり、ほとんどが農家として作物を作っていました。
周辺は、豊富な水をためた庄内川によって、稲作に適した水田とされていたためです。
平安時代には中村公園一帯の地をすでに中村郷と呼んでおり、古くから「中村」の名前が使われていました。
鎌倉時代に鎌倉街道がこの地を通ると、萱津の東宿として開けてきました。
戦国時代には中村の地に豊臣秀吉、加藤清正が出生。
1610年に、加藤清正をはじめとする諸大名によって名古屋城が築城されました。
江戸末期から明治中期までに、現在の中村区内には20近い村がありましたが、名古屋市が誕生した1889年には、鷹場村、日比津村、織豊村、笈瀬村、柳森村、松葉村、岩塚村の7つに集約され、さらに鷹場村、日比津村、織豊村は中村に、笈瀬村は愛知町に、柳森村、松葉村、岩塚村は常盤村へと合併や町名変更を行ないました。
これに先立って1886年には官設鉄道の名護屋駅が開業し、翌年に名古屋駅と改称しています。
鉄道の開通は大きな効果をもたらし、名古屋駅周辺は著しく発展しました。
昭和初期には名鉄名古屋駅が開業し、交通網が整備されていきました。
1937年には中区の一部と西区の一部によって中村区が誕生し、現在の区域を形成しました。