- 食酢
- 日本最古の跨線橋(JR半田駅)
- 日本最古の駅舎本屋(JR亀崎駅)
- はんだ山車まつり
半田市
愛知県の南西部、知多半島の中央部の東側に位置しています。
市内を知多半島道路、名鉄河和線、JR武豊線が縦断し、東の碧南市とは海底トンネルが開通しています。
知多半島道路から中部国際空港(セントレア)への分岐点である半田中央JCTが設置され、知多半島地域での交通の要衝となっています。
地形は西部がのどかな丘陵地で、そこから東の平地に市街地が形成されています。
湾岸部は工業地帯として発達しており、大規模工場がいくつも立地されています。
伝統や文化を大切にする気風が強く、半田運河沿いには古くからの酒蔵や赤レンガの街並みが現存しています。
また、300年の歴史を誇る山車祭りや、国の重要無形文化財に指定されている潮干祭りなど、庶民の活気が今なお継承されています。
半田中央インターの近くには、この地の出身者である童話作家の新美南吉記念館が建てられ、新美氏の自然を愛する心や思いやりを後世に伝えています。
鎌倉時代、吟遊歌人の西行法人が現在の衣浦地区を訪れた際、渚の美しさに感動して叙情詩を詠んだことからも分かるように、風光明媚な景色が広がっていました。
15世紀後半、18軒の武家によって現在行なわれている潮干祭の原形となる祭事が始まりました。
戦国時代、領主の水野忠政は岡崎の松平家に妹を嫁がせ、縁戚関係を結んで尾張の織田信長や駿河から西進を企てる今川義元に対抗しました。
その妹の孫が徳川家康で、後に本能寺の変で家康が京から逃げる際にこの地の船頭たちが協力した功績もあり、江戸時代初期には幕府から莫大な資金提供を受け、港湾が整備されました。
こうして江戸時代は「衣ケ浦」を拠点とした海運業が発達し、醸造・織物・製塩などの産地として国内貿易が活発化しました。
1937年(昭和12年)、知多半島の政治や経済の中心地だった半田町、機(はた)業が盛んだった成岩町、漁業で栄えていた亀崎町が合併し、現在の市域の半田市が誕生しました。
大戦中は地場産業の大半が軍需工場に変わり、戦後は相次ぐ大型台風もあって廃れますが、昭和40年代以降は高度経済成長の波に乗り、知多半島の中核都市として発展を続けています。
新美南吉(童話作家)、山本梅荘(南宋画家)、小栗風葉・澤田ふじ子(小説家)、長谷川良平・槇原寛己(野球)、野崎真一(作曲家) 等
半田赤レンガ建物、半田空の科学館、MIZKAN MUSEUM、新美南吉記念館、ごんぎつねの湯、半田市立博物館、みどり館、市野園芸、名鉄観光サービス 半田支店、澤田農園、常楽寺、JTB中部 団体旅行半田支店、半田ハリストス正教会・聖イオアン・ダマスキン聖堂、半田教会、天然温泉コロナの湯 半田店、日本福音ルーテル知多教会
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酢、味噌、たまり、知多牛、いちご/國盛、カブトビール
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