京都市の南東部に位置し、桂川・宇治川を含む多数の河川が流れています。東部には醍醐山を含む連峰がそびえ、中央部から南部にかけて平地が広がっています。豊かで良質な地下水を利用して、古くからの酒造業が盛んで、南西部の桂川の流域や巨椋干拓地周辺をはじめとする耕地面積は市内最大規模で、米・野菜・花きなどの作物を各地に供給しています。一方で、かつての城下町や門前町、港町の佇まいが残され、観光都市としての側面も兼ね備えています。そうした地場産業に支えられつつ、人口数は政令指定都市の区の中でも全国トップクラスを誇ります。そのため、交通面では、JR・私鉄・地下鉄合わせて6路線と、名神高速・都市高速などにより一大交通網が構築されています。
御香宮神社、伏見稲荷大社、法界寺、醍醐寺、伏見桃山城、淀城址、鳥羽離宮庭園、横大路運動公園、宇治川公園、寺田屋、京都競馬場
区の北部にある深草地域は、京都盆地の中で最も早く稲作が始まったエリアで、奈良時代には一大集落が形成されていました。平安時代に入ると、区の中央部は平安京と奈良の中間地点という立地に加え、風光明媚な景色が人気を呼び、多くの人出で賑わいました。その頃、東部の丘陵地帯でも醍醐寺や法界寺が建立され、隆盛を極めます。
平安末期の保元の乱、鎌倉時代の承久の乱では各地が荒廃しますが、室町時代に入ると治世も落ち着き、猿楽・連歌・御茶事などの芸能文化が発達していきました。戦国時代には戦火に見舞われたのち、豊臣秀吉が伏見城を築城すると、水路・陸路の要所として発展します。
江戸時代は伏見港の周辺に本陣や脇本陣が置かれ、宿場町として大いに栄えました。幕末には再び騒乱の地となり、鳥羽伏見の戦いでは街の大半の民家が焼失しました。
明治時代に入ると、1877年の東海道線の開通を皮切りに、1895年には日本初の市電が開通するなど陸路での交通網が発達しました。1929年、伏見町を中心に周辺の村々と合併して一度は伏見市となり、1931年に伏見区が誕生しました。
その後も編入が続き、1957年に現在の区域となりました。
高度経済成長期には人口が急増すると、各地で小中学校の開校が相次ぎ、都市型公園も造園されました。1996年、納屋町商店街に日本初のギャラリーアーケードが、1997年には大手筋商店街に日本初のソーラーアーケードが完成するなど、町おこしとして様々な話題を集めています。
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