京都市の南東部に位置し、東・北・西にそれぞれ山々がそびえた緑豊かな地域です。その山々から流れる幾つかの河川が区の南部で合流し、山科川となって中央部を流れています。市街地は盆地状に区の南部に形成しており、特に山科駅の周辺は都市化が進んでいます。アクセス面では、名神高速道路や阪神高速8号京都線、JR東海道本線、地下鉄東西線、京阪電鉄京津線などが乗り入れ、京都市の東の玄関口としての役割を担っています。平野部では農作物が盛んに生産され、観修寺ナスや山科ブドウが特産品として知られています。また、清水焼・京扇子・京仏具などの伝統産業が脈々と息づいているだけでなく、金属箔・金属粉などの先端技術を駆使した製造業も盛んです。時代を超えて様々な史跡が残されており、歴史散策にも適しています。
天智天皇陵、岩屋神社、大石神社、勧修寺、随心院、毘沙門堂、元慶寺、京都お箸の文化資料館、清水焼団地
北花山遺跡・芝町遺跡・中臣遺跡などの古代遺跡が発見され、太古から一大集落が形成されていました。6世紀中頃になると、天智天皇や中臣鎌足など歴史上の重要人物が訪れて脚光を浴びました。
この時代、高度な製鉄技術や土木技術を持ち、各地で古墳や天皇墓が造られます。
平安時代に入っても天皇家とのかかわりは続き、その時々の天皇にゆかりの深い寺が多く建てられました。室町時代には、応仁の乱によって多くの民家が焼失するなどの打撃を受けました。戦国時代以降は街道が整備されるとともに街の基盤整備が進み、徐々に復興を遂げていきます。
区域内に赤穂義士にまつわる史跡が多く残っていますが、これは1701年、忠臣蔵で有名な大石内蔵助が討ち入りの前に隠れ住んだからです。
明治時代中頃までは多くの村々が存在して通称・山科郷とされていましたが、それらを合併して1889年に山科村となり、1926年に宇治郡山科町となりました。1931年には一度東山区に編入され、1976年に分区して山科区が誕生しました。1997年には地下鉄東西線が開通するなどアクセスも向上し、区の南部を中心に発展し続けています。
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