市の南東部に位置し、上町台地の東側に当たる部分が区域になっています。 人口密度が高く、市内でも有数の過密地区であり、また外国人登録者数は市内第1位となっています。 その一方で個人経営の商店や工場が多く、金属加工やゴム製品関係を中心とした中小企業が軒を連ねており、住・商・工が混在して様々な面を見せています。 また戦争の被災にあっていないため、戦前からの町並みがあちらこちらに残っており、古き良き時代の足跡を見ることができます。 「だんじり祭」や「地蔵盆」など地域の伝統行事も大切に守られており、下町風情が息づく区でもあります。
生野神社、巽神社、明生座、コリアタウン、勝山遺跡、御勝山古墳、舎利尊勝寺
日本書紀にこの地に架かった橋が登場したり、推古天皇の時代の伝説が伝えられたり、歴史を物語る石碑などが多いことから、古代から集落があったことがうかがえます。
しかし歴史に区域の様子が詳細に登場するようになるのは明治時代になってからです。
1889年の町村制施行により国分村、舎利寺村、林寺村、林寺新家村、田島村が合併して生野村が成立しました。
また現区域の北西には鶴橋村が成立するなど次第に集落が統合されていきました。
大正時代になると生野村は、養鶏業が盛んになり国内有数の養鶏地域へと発展しました。
大正末期の1925年に生野村は大阪市東成区に編入されましたが、1943年に東成区から分離独立して生野区が誕生しました。
1955年には東部に隣接していた中河内郡巽町を編入し、現在の区域となっています。
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