東区は、南部がJR西日本の広島駅と隣接し、南北に走る広島高速1号線を通じて山陽自動車道広島東インターチェンジにアクセスしているなど、県内外への移動が非常に便利な区です。広島駅から北に延びるJR芸備線沿いには、広島市中心部のベッドタウンとして住宅地の開発が進んでいます。平成6年(1994年)に開通したアストラムラインは、太田川の西側を南北に走り、その沿線は、広島市中心部へ通勤する人たちのための住宅地として開発が進んでいます。広島駅周辺の市街地は近代的な商業地区であるのに対し、北部は、広島県緑化センターや広島市森林公園、ニヶ城山など自然が豊かな地区であるという2面性を持っています。また、国宝の不動院金堂や歴史的建造物が数多いことも特徴です。
不動院、明星院、広島市総合屋内プール(広島ビッグウェーブ)、広島市森林公園、県立広島緑化植物公園、こんちゅう館
現在の東区は、奈良時代からすでに太田川を渡河するための西国街道の重要な交通拠点でした。太田川上流には西大寺の荘園もありました。河口という地理的特徴から室町時代は武田氏水軍の支配下にあり、その後毛利氏の支配に変わると児玉氏・乃美氏に仕えた水軍の拠点となります。
江戸時代の太田川流域には、広島城下向けの野菜の栽培や水運を生業とする村民が多く住んでいました。1664年(寛文4年)に牛田村から京橋川に架けられた神田橋は、広島城下では唯一街道筋以外に架橋されたものでした。
その後太田川河口の東部や南部の干潟は次第に干拓されて新開地となり、農業地帯に変貌していきます。元禄年間に西国街道が岩鼻の南側を通るルートに変更され、新開地が陸上交通の要地となりました。しかし太田川の氾濫によってこの地域は、しばしば水害を被りました。治水の問題を解決するまでには、長い時間が必要となりました。
明治維新後も交通拠点としての役割を果たし、1894年(明治27年)には、山陽鉄道の広島駅が開業しました。1915年(大正4年)には芸備鉄道(現在のJR芸備線)が開通し、広島北部とのアクセスも改善されます。
さらに1994年(平成6年)本通駅と「広島アジア大会」の会場だった広島広域公園までの広島高速交通の新交通システム路線としてアストラムライン広島新交通1号線が開通し、交通の要衝として東区は、広島市の発展に重要な役割を担い続けています。
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