愛媛県の中北部に位置する四国最大の都市で、1889年に市制施行しました。平野部の他に瀬戸内海に浮かぶ忽那諸島も市域に属しています。鉄道、自動車道が市内を走る上、中国地方各地との海の航路も整備されています。温暖な瀬戸内海気候で台風などの災害も少なく伊予柑などの栽培が盛んです。市内には松山城がそびえ、日本最古の温泉である道後温泉をはじめ、夏目漱石の小説「坊ちゃん」にちなんだ施設が多くあります。また俳人・正岡子規を生んだ土地柄もあって、子規に関する資料館や記念館も建ち並んでいます。
市の花:ヤブツバキ
国際友好・姉妹都市:アメリカ・サクラメント市、ドイツ・フライブルク市、韓国・平澤市
松山城、道後温泉、坂の上の雲ミュージアム、子規記念博物館、石手寺、萬翠荘、道後公園、宝厳寺、明教館、ミウラート・ヴィレッジ
伊予柑、砥部焼、伊予絣、姫だるま、五色そうめん、緋の蕪漬け、タルト、薄墨羊羹、坊ちゃん団子、鯛料理
縄文・弥生時代には集落があり、古墳時代には大和政権の力も及んでいました。大化の改新後は伊予国に国郡制が整備され、官衛の付随施設が建てられました。平安時代から勢力を強めてきた河野氏が伊予国を治め、室町幕府では守護職に任命されました。この頃道後が伊予国の政治・経済の中心地となりますが、河野家の中で内紛が起こり、戦国時代には豊臣秀吉の四国攻めによって滅亡します。秀吉の命で伊予を与えられた加藤嘉明は、伊予正木城を築きますが。関ヶ原の合戦では徳川家康側につき、戦功により伊予20万石を与えられました。嘉明は松山平野の丘陵に松山城を築城し、城下町を整備しました。同時に水運の計画を立て、港や船奉行を設置しました。忽那諸島は南北朝時代から優れた水軍を持つ忽那氏が支配していましたが、のちに領地を分割されました。明治になると廃藩置県で松山藩は松山県となり、城下町に県庁が設置されました。1885年に松山城下の町が松山と総称され、1889年に市制を施行し松山市が誕生しました。
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