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新居浜市

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新居浜市のタウン情報

新居浜市は四国の中央、瀬戸内海の燧灘(ひうちなだ)に面したところにあります。

3方を山に囲まれた盆地状で、市街地は市域北部の新居浜平野に広がっています。

市の南部には標高1000メートルを超える四国山地の峰々がそびえ、高知県との県境になっています。

中央を流れる国領川によって市域が東西に分断されているため、地元では川の東側を「川東」、西側を「川西」と呼んでいます。

また、東西とは別に、JR予讃線より南側を上部とも呼んでいます。

港湾地区である御代島や黒島地域は、もとは瀬戸内海に浮かぶ島でしたが、埋め立て事業によって陸続きとなりました。

今では、新居大島だけが市に属する離島となっています。

四国屈指の臨海工業都市であり、愛媛県内では松山市に次ぐ第二の都市ですが、人口においてのみ、平成大合併によって拡大した今治市に抜かれ愛媛県3位となってしまいました。

しかし、企業や商業施設などの進出はその後も盛んに続いており、町としては今も、県内の重要な地位を担っています。

新居浜市

市の位置

新居浜市の位置
都市イメージ

歴史

源氏の血筋を継ぐ金子氏が1200年代、現在の新居浜市内となる地に居を構えます。

以後、戦国時代まで金子氏の統治が続きました。

しかし、豊臣秀吉の四国平定時、金子氏は豊臣方に敗れ、領地は豊臣方に明け渡されました。

1636年(寛永13年)、江戸幕府の命令で東予地域に入封した一柳氏によって西条藩が誕生、現在の新居浜市を含む新居郡はその統治下に組み入れられました。

その後、藩主は松平氏に変わりましたが、西条藩としての歴史は明治維新まで続きました。

1690年(元禄3年)、別子山村(当時)の山中に銅の大鉱脈が発見され、翌年から本格的に銅の採掘が開始されました。

1698年(元禄11年)には、明治以前としては最高量の銅採掘の記録を残しています。

銅の採掘はその関連産業の誕生・成長も促し、別子山村だけでなく、当時の新居浜地域を含む周辺地域への人の往来や定住を増やしました。

明治になってからは、日本初の山岳鉱山鉄道である「別子鉱山鉄道」も敷かれます。

そして昭和の時代まで重要産業として東予地区の経済の発展に貢献していくことになりました。

1937年(昭和12年)、新居浜町、金子村、高津村の3つの行政体が合併、新居浜市が誕生しました。

1950年代に臨海地区に建設されたコンビナートは、川崎市や四日市などと同時に進められた日本初のコンビナート事業です。

これによって新居浜市は、その後の国内化学工業の進展に大きな役割を果たしていくことになりました。

一方で、別子山村の銅山は1973年(昭和48年)に役割を終えて閉坑し、別子鉱山鉄道もその4年後に廃線となっています。

2003年(平成15年)、それまで行政区こそ違いながらも産業面や生活面など様々な面で深くかかわっていた別子山村と旧新居浜市が合併、新しい新居浜市が誕生しました。

市の有名人(出身者)

十河信二(元国鉄総裁)、藤田元司(野球)、真鍋博(イラストレーター)、篠原とおる(漫画家)、福西崇史(サッカー)、鴻上尚史(劇作・演出家)、高見知佳(女優)、水樹奈々(声優・歌手)、愛川ゆず季(タレント)、ノッチ(お笑い芸人)、近藤勝也(アニメーター)、真鍋和人(重量挙げ)、真斗(漫画家) 等

日本一

  • 300年の伝統をもつ新居浜太鼓祭り
  • 直径45mのドーム型パーゴラ(藤棚)

特産品・酒

あめご、白いも、いちご、えび天、じゃこ天、えびちくわ、絹川なす(漬物)、銅山漬、極楽塩、ふぐざく、新居のいもだき、伊予柑うどん、いよ柑漬、祝いパン豆、極上太鼓祭、別子飴/銅山こそあなた・ひめさくら(日本酒)

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