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大野城市は、福岡市の南側に隣接するひょうたんの形をした市です。

北東部には四王寺山や乙金山、南部から南西部には背振山地の牛頸山を中心とする小連山があり、福岡市周辺部としては珍しく貴重な緑が残されています。

JR九州の鹿児島本線、西鉄天神大牟田線が南北に縦断し、福岡都市高速道路の水城インターチェンジとそれに接続される九州自動車道太宰府インターチェンジや福岡空港にも近接しているため、福岡近郊都市の中でも交通の便に恵まれた地域です。

南部は山がちな地形ですが、大規模な新興住宅地が造成されています。

一方、牛頸川上流の牛頸ダム付近には、いこいの村キャンプ場があり、市民の野外活動の拠点となっています。

大野城市

市の位置

大野城市の位置
都市イメージ

歴史

約二千年前、古代中国の「新」(西暦8〜25年)の青銅貨幣が、日本で初めて仲島遺跡から出土しました。

まだ貨幣が使われていない弥生時代に、どのようにしてこの貨幣が渡ってきたかは今も謎とされています。

また御陵古墳から出土した三角縁神獣鏡は、魏国皇帝から賜わったという銅鏡百枚のうちの一枚という可能性があり、その真偽を見極める研究が現在もされています。

663年(天智2年)の白村江の戦いにおいて、倭国は新羅と唐の連合軍に敗れ、防備を固めるため様々な防衛施設を建設したことが「日本書紀」に記されています。

大宰府防衛のために、665年(天智4年)に四王寺山にわが国最古の朝鮮式山城「大野城」(おおののき)が築かれました。

この城の名前が、市の名前の由来となっています。

背後に大宰府を抱え、博多(那の津)から南へ下る道筋は、防衛上の重要な要衝であったため度々戦場となり荒廃しましたが、太宰府へ至る街道沿いの人の往来が絶えることはありませんでした。

江戸時代は、幾度となく凶作にみまわれ、1732年(享保17年)の前後3年間では享保の大飢饉が起こり、筑前国総人数調べによると3分の1が命を落とす苦難もありましたが、博多と大宰府を結ぶ交通の要地として繁栄し続けました。

1889年(明治22年)の村制の施行による大野村の当時の人口は、3,855人でした。

1950年(昭和25年)に町制を施行して大野城町となったころから、人口流入が加速し始めます。

1972年(昭和47年)には市制を施行し、2010年(平成22年)に行なわれた国勢調査では9万人を超えました。

市の有名人(出身者)

杉内俊哉・本多雄一(野球)、柴田隆一・春口沙緒里(水泳)、飛鳥涼(歌手) 等

日本一

  • 牛頸須恵器窯跡群(日本三大窯跡)
  • 大野城跡(日本最古の朝鮮式山城)
  • 水城跡(大宰府防衛のための土塁と濠による堤防)

観光名所・人気スポット

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