長崎県の南部に位置し、三方を角力灘、天草灘、大村湾に囲まれています。市制施行は1889年。古くから港町として栄え、中国文化やヨーロッパ文化の影響が市内に色濃く残っています。異国情緒を感じさせる名所・史跡なども多く、「長崎くんち」などの年中行事にも独自の文化を知ることができます。1977年には国際観光都市に指定され、年間を通じて大勢の観光客が訪れます。その反面、キリスト信仰者への弾圧や原子爆弾の投下など悲惨な歴史もあります。毎年、平和祈念像のある平和公園で平和を願う式典が開かれます。
市の花:アジサイ
市の木:ナンキンハゼ
国際友好・姉妹都市:アメリカ・セントポール市、ブラジル・サントス市、ポルトガル・ポルト市、オランダ・ミデルブルフ市、中国・福州市、フランス・ヴォスロール村
グラバー園、大浦天主堂、浦上天主堂、唐人屋敷跡、長崎亀山社中記念館、遠藤周作文学館、眼鏡橋、シーボルト記念館、諏訪神社、平和公園、長崎原爆資料館、崇福寺
長崎チャンポン、皿うどん、からすみ、長崎黎明茶、カステラ、ビワ、イチゴ、ハモ、唐人菜、クジラ料理、べっ甲
かつては漁村が点在する小さな浜で、地名は永崎と書きました。この地は肥前国に属し、1570年に領主の大村氏が地元豪族の長崎氏に命じて、イエズス会と長崎開港の約束を締結させました。翌1571年にポルトガル船が入港し、1580年にイエズス会に教会用の領地を寄進しました。太政大臣になった豊臣秀吉は宣教師追放令を出し、長崎を天領としたあと、朱印船貿易を行なって貿易を独占しました。江戸時代になると再びキリシタン文化が流行し、教会が十数ヵ所建てられましたが、1613年に江戸幕府がキリスト教禁止令を発令し、キリシタンが一掃されました。しかし貿易は盛んで、中国大陸やオランダなどと交易が行なわれ、鎖国時代に唯一認められた港として、西洋や東洋の文化を取り入れていきました。明治政府が誕生すると廃藩置県で長崎県の長崎区となり、1889年に長崎市となりました。電灯が設置されたり上水道も整備されるなど、早くから新しい文明が開かれ、新文化の先駆都市となりました。第二次世界大戦には原子爆弾が投下され、浦上地区などが一瞬で壊滅しました。その後復興を遂げ、過去の正負の遺産を伝える観光都市として発展しています。
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