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諫早市
長崎県のほぼ中央部に位置し、東は有明海、西は大村湾、南は橘湾と三方が海に面しています。
北には多良岳があり中央部までその裾野が広がっており、南部にある丘陵地との間の平野部に市街地が形成されています。
市内には国道34号線、57号線、207号線、251号線の4国道と長崎自動車道が走り、鉄道もJR長崎本線、大村線、島原鉄道さらに南端にはが通り、県内交通の要衝となっています。
特に長崎本線と大村線が分岐・合流する諫早駅から島原鉄道・本諫早駅にかけての一帯は、公共施設や商業施設が建ち並び、市の中心街を成しています。
市の中央部を流れる本明川は、市街地を通って有明海に注ぎ、下流にある諫早平野は県下最大の穀倉地となっており、丘陵地帯では野菜やミカンなどが栽培されています。
近年は諫早中核工業団地など積極的に企業誘致を行ない、長崎自動車道の開通に伴って、県内の産業拠点として発展しています。
鎌倉時代に書かれた「宇佐文書」で、「伊佐早」の地名が初めて登場しました。
南北朝時代には、この地の領主権をめぐって激しい争いが起きましたが、1474年(文明6年)に西郷氏によって平定され、1587年(天正15年)に龍造寺家晴に攻められるまで100年以上統治しました。
龍造寺氏2代目領主の直孝のときに姓を「諫早」と改め、佐賀藩諫早領となりました。
諫早領の範囲は、現市域だけにとどまらず、長崎市、佐賀県の一部まで及んでおり、領内には長崎街道の宿場や番所があり、宿場町として栄えました。
また、多良街道、島原街道の分岐点ともなり、交通の要衝として重要な役割を果たしてきました。
1889年(明治22年)の町村制度施行により、現市域内に19の町村が発足しました。
1923年(大正12年)に諫早町、北諫早村、諫早村が合併して新生の諫早町が成立し、1940年(昭和15年)には、諫早町と周辺6村が合併して市制を施行し、諫早市が誕生しました。
戦後になると、町村合併や町制施行が各地で行なわれ、2005年(平成17年)には、諫早市、飯盛町、森山町、高来町、小長井町、多良見町が合併して新しい諫早市が誕生しました。
この間に1957年(昭和32年)の大水害によって大きな被害を受けましたが、無事に復興を遂げて中核都市としての役割を担っています。
伊東静雄(詩人)、野呂邦暢(作家)、野口彌太郎(画家)、広津雲仙(書家)、市川森一(脚本家)、役所広司(俳優)、内村航平(体操)、藤原新(マラソン)、森岡紘一朗(競歩)、副島正純(車いすマラソン) 等
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