- 霧島ヶ丘公園・かのやばら園
- 吾平山上陵(初代神武天皇の父母の御陵)
- 輝北天球館
- 鹿屋体育大学
- 鈎引き祭り
- かのやグラウンドゴルフ場
- やねだん
鹿屋市
鹿屋市は、大隅半島のほぼ中央に位置し、市の北西部には日本の自然百選にも選ばれている高隈山系が連なっています。
また南東部は、肝属山地の山林地帯が続いています。
その谷間にシラス台地の笠野原台地と鹿屋原台地が広がり、そこに続く肝属平野の中央を肝属川が流れています。
西部は錦江湾に面する緩やかな海岸線が続いています。
温暖な気候を活かした農業と畜産が盛んで、黒豚やブロイラー、落花生やサツマイモなどの特産品が有名で全国に出荷されています。
また鹿屋市には地方法務局や鹿屋税務署、大隅地域振興局などの国や県の行政機関もあり、大隅半島の行政や経済の中心都市としての役割も担っています。
縄文時代早期から人の定住があり、弥生時代には王子遺跡など大規模な集落がありました。
当時の中央の勢力であった大和朝廷の権力もあまり及ばず、713年(和銅6年)に大隅国が設置されましたが、完全には服属していませんでした。
968年(康保5年/安和元年 )に肝付氏の祖である伴兼行が薩摩国惣追捕使として赴任し、1036年(長元9年)に肝付氏を名乗ります。
肝付氏は島津荘などの荘園を支配していましたが、1185年(文治元年/元暦2年 )に島津忠久が地頭として島津荘を管理するようになると、肝付氏と対立し、およそ400年にわたる争いが始まります。
1574年(天正2年)戦国時代になると蜂起した島津氏に肝付氏は敗れます。
さらに島津氏は1577年(天正5年)に最後まで抵抗していた伊東氏も降伏させ、薩摩、大隅、日向をほぼ統一しました。
その後鹿屋郷では定期市が月6回開催され、大隅半島各地を始めとして薩摩半島側の指宿からも客が集まっていたようです。
しかし地元の農民は高い年貢に苦しめられ、農業は衰退していきます。
再び近代都市としての鹿屋の発展が始まったのは、明治維新後の1890年代に鹿屋を中心とする道路網が整備され、1910年代に電気や鉄道が通じるようになってからです。
1941年(昭和16年)鹿屋町と大姶良村、花岡村の3町村が合併し、市制が施行されます。
1991年(平成3年)に市役所が移転し、国道220号の鹿屋バイパスが全線開通すると交通の流れが変わります。
大型ショッピングセンターが進出し、鹿屋市は大隅半島の中核として機能し始めています。
2006年(平成18年)鹿屋市と輝北町、串良町、吾平町が合併し、新しい鹿屋市となりました。
哀川翔(俳優)、国生さゆり(女優)、桂竹丸(落語)、幸英明(ジョッキー)、横峯さくら(ゴルフ)、大石英司(作家)、浅井未来(元プロウェイクボーダー) 等
黒牛、黒豚、茶、落花生、さつまいも、ピーマン、きゅうり、さといも、ごぼう、スプレー菊、かんぱち、うなぎ、ナミクダヒゲエビ、クエン酸、くず/さつま大海・小鹿・照葉樹林・薔薇の贈りもの(焼酎)
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