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霧島市

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霧島市のタウン情報

霧島市は、鹿児島湾の最深部に位置し、北部には霧島屋久国立公園の雄大な山々が連なっています。

また、南部には、波静かな錦江湾に面する平野部が広がっています。

霧島山系を源流とし、錦江湾まで流れる天降川流域では、稲作地帯です。

また扇状地が広がる河口部は、干拓されて農地が広がっています。

全国に出荷されている主な特産物は、いちご、トマト、ごぼう、根深ねぎ、ソバ、肉牛、うなぎなどです。

この地域は、古くから薩摩地方と大隅地方、そして宮崎県を結ぶ交通の要衝でした。

現在もJR肥薩線とJR日豊本線が合流する乗継駅で、有明海方面に繋がる国道504号線と小林市方面に繋がる223号線、そして宮崎市方面に繋がる国道10号線が合流する地区です。

さらに鹿児島空港が開港したことで、今後も交通要衝としての重要性が高くなると見込まれています。

産業においては、国分隼人テクノポリスの指定を受け、ソニーや京セラなどのハイテク産業が進出しています。

霧島ジオパークは、九州で3番目(2010年9月)に日本ジオパークの認定を受けた公園です。

霧島市

市の位置

霧島市の位置
都市イメージ

歴史

709年(和銅二年)ごろに編纂(へんさん)された『続日本紀』に、この地帯を支配していたと思われる薩摩隼人の呼称がでてきます。

霧島は隼人と呼ばれる民族の居住地でした。

隼人は当時の中央政府であった大和朝廷に対する抵抗を繰り返していました。

しかし、大和朝廷の支配力が強まってくると、隼人族の勢力は駆逐され、国は分裂していきます。

霧島では、隼人と呼ばれる民族が住んでいた時代から、様々な伝承が語られています。

神々がこの世を治めていた時代に、神々が天上界の天の浮橋から下の世界をのぞくと、霧にけむる海のなかに島のようなものが見えたので、一本の鉾を取り出し、神々はその島にしるしをつけました。

それが霧島山の名の由来だと言われています。

そのとき、神々が逆さに落とした鉾は、見事に山の頂上に突き刺さり、今も高千穂の山頂に残る天の逆鉾がそのときの鉾だと伝えられています。

天上界から神が高千穂峰に降り立ったと言われる「天孫降臨」によって、日本建国とその歴史が始まったと伝えられています。

このような伝説が残っていることから、この地域が神格化されていたことが窺えます。

またこの地域は、大隅半島と薩摩半島の要に当たる部分であったため、奈良時代〜戦国時代に至るまで多くの勢力がこの地域の覇権をめぐって争いが絶えませんでした。

江戸時代になり徳川幕府によってほぼ全国が統一されると島津藩が統治するようになります。

1604年(慶長9年)頃、島津義久は富隈城から、国分城を築城し移り住みます。

義久は寒村であった国分を京都風に碁盤の目で区切り、明より商人を招いて「唐人町」を作るなど国分城下の町を整備しました。

その後、薩摩国と大隅国の境に位置するという立地条件から島津斉彬は、鹿児島城から国分城に藩政の中心を移転する計画を建てます。

国分城下の測量まで行ないましたが、斉彬の死去により頓挫し、この計画は実行されませんでした。

霧島は、古くから温泉養生の場所としても有名で、負傷した武士や町民が硫黄谷温泉などで湯治していました。

江戸時代に書かれた温泉番付『諸国温泉功能鑑』には「薩摩硫黄湯」として記載され、皮膚病に効能があると書かれています。

1866年(慶応2年)には明治維新のために東奔西走した坂本龍馬夫妻も傷の治療のために訪れています。

市の有名人(出身者)

陸奥一博(元大関霧島)、井上一樹(プロ野球)、四位洋文(JRA騎手)、前田美順(バドミントン)、新鍋理沙(バレーボール) 等

日本一

  • 霧島錦江湾国立公園(日本最初の国立公園指定)
  • 霧島神宮(天孫降臨神話)

特産品・酒

黒酢、黒酢ブリ、黒牛、黒豚、黒さつま鶏、黒にんにく、ブルーベリー製品、薩摩錫器、霧島茶、関平鉱泉水、ブドウ、梨/焼酎

上場企業

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